代表メッセージ

代表メッセージ

鎌田社長はどういう人?

郡中GROUP代表 鎌田社長↑

Q.東日本大震災のときに社長に就任したそうですが、不動産業界も含めて何が一番大変でしたか?

鎌田社長 物件をちゃんと全部運営していくということですね。また、管理会社として大家さんに入ってきたお金を送金していかなくてはいけない。そういうのが、東日本大震災のときは、ガタガタになりましたからね。本部ビルの建物もガタガタになったけれど、中のシステムもガタガタになりました。

東日本大震災時の本部ビル↑

お客さんは壊れた部屋には住めないから出て行く人は出て行っちゃう。だからまずはそこを整理するのが大変でした。最初の2011年から2012年の1年間ですね。

Q.そういう中で、郡中の中で変えなかったことはありますか?こういう信念だけは変えないようにやっていこうとか。

鎌田社長 そういう信念がどうこうっていうのは考えていなかったけれども。やっぱり住んで頂いているお客さんがいる以上、お客さんの対応をしていかなくてはいけないとか。それはやり続けなければいけないので。

2011年の東日本大震災をこえて『自分たちだけ儲かればいいわけではないよね。』と思いました。

Q.社員さんとの間ではどうでしたか?

鎌田社長 当時は地震だけじゃなくて原発の問題もあったので、社員をみんな集めて「原発がこういう状態になっています。ここにいろとは言えないので、みなさんで判断をしてください。」と。「ここから避難しても責めることもないし、それはみなさんの考えだから」ということを伝えました。

Q.どうだったんですか?

鎌田社長 ほぼ全員みんな残ってくれて。正直、うれしかったですね。そういう状況下の中で自分の生活もあるけれども、管理物件とか入居者の面倒もみていかなきゃいけないわけじゃないですか。そういう使命感はあったのかな。オーナーさんも含めて物件とか土地を持ってどっかに行くことはできないので。そこに人が住んでいる以上、管理はやっていかなくてはいけない。そのとき強い気持ちになりました。

「いや不動産屋嫌いです。」自分が答えたんです。そしたら「馬鹿だな」って、言われて。

Q.いろんな職業ある中で、何故この職業を選んだのですか?

鎌田社長 先代の息子だからですかね(笑)。

Q.郡中に入ったそのときは、いくつだったんですか?

鎌田社長 入社が平成5年だから、25歳。

Q.その前は、どういうお仕事だったんですか?

鎌田社長 この前は仙台で内装関係の会社に勤めてました。内装、イベント、看板などをやっていました。

Q.そのときはどういう仕事をやっていたんですか?

鎌田社長 そのときは仙台の大手のお菓子屋さんのお店をつくったり、あとは食品関係のお店をつくる仕事ですね。ちょうどロードサイドに店舗をつくって、色々と大きくしていく時期で、そういうのはおもしろかったですよね。

Q.何年くらいやったんですか?

鎌田社長 やったのは実質2年ぐらいですね。新入社員で入社して仙台にいたのですが、2年目のときに千葉の幕張が開発されて、オフィス街にいろいろと建ったときに幕張に行きました。それで1年くらいだったので、実質2年くらいかな。

Q.その幕張では営業していたんですか?

鎌田社長 営業ですね。仙台にいるときは現場だったんですけどね。現場監督まではいかないけれど、現場補助員みたいな形でやっていました。千葉に行ったときには何もない状況でした。自分で営業してとってこないと何の基盤もない。それこそ会社の名前も全然知られていない、そんな状況でした。

Q.どうしてこちら郡中に戻られたのですか?

鎌田社長 ちょうど、発端は、その千葉、幕張で、全国展開する会社を営業したときのことですね。そこの部長さんが、いい出店場所を探しているということで、いろいろ話をさせていただきました。具体的にいうと、自分の会社は、仙台本社の会社だったので『仙台に物件があれば紹介します。』といった感じだったんです。ちょうど、そのときに仙台の物件を2~3件、いいタイミングで見つけたんです。その話をしたら部長さんから、「一緒に見に行こう」と言われたんです。そのときの新幹線での会話がきっかけですね。

Q.その新幹線の中で、なんていわれたんですか?

鎌田社長 仙台行きの新幹線の中で、

「鎌田くんって実家何しているの?」

「不動産屋です。」

「なんで不動産やらないで、こっちきているの?」

と言われました。

そこで、

「いや、不動産屋嫌いなんです。」

と自分が答えたんですね。

そしたら
「馬鹿だな」

って言われて。

地べたに近い人の方が施主に近いから、色んなことをやれる。


Q.そのあと、なんて言われたんですか?

鎌田社長 『結局、自分がこういう風に建てたいとかやりたいって考えている建物をやる時にも施主さんがいるので、ほとんど自分の思い通りにはならないわけですよ。でも不動産屋なら、地べたに近い人の方が施主に近いから、自分がやりたいことをやれるよ』って。
そういう考えを言われて、そうだなと思って。不動産を地べたからやっていくのもいいかなと思って、じゃあ戻ろうかなって思ったんです。

Q.いくら不動産屋の息子でも、戻らない人もいるじゃないですか。それでも自然と『戻ろう』と思ったんですか?

鎌田社長 そうですね。自然というか、もともと自分は建築の方が好きだったので。だから小さい頃の夢は郡中本店の社長になろうと思っていなくて、どちらかというと日成リフォームの社長になりたいというか。そんな感じのことを中学とか高校のときに思っていましたね。なので、大学も建築の方に行きました。どちらかというと、さっきも言ったように不動産が嫌いなので。

Q.先代も『戻ってこい』とは言っていたんですか?

鎌田社長 『こい』とは言っていなかったけれど、その話をして戻ろうかなって言ったら『いいよ』って言われました。この時点で多分、継がなきゃいけないかなとも思っていたからですね。だったら早いうちに入ってやっていた方がいいかなと思って、戻りましたね。

Q.社長がこの不動産業界に戻ってきたときはどう思いましたか?不動産が嫌いだったのはそのときですか?

鎌田社長 嫌いだって言っても、訳が分からなくて嫌いだったんだよね。だって働いたことがないから。イメージだけで言っていたから。その頃って不動産屋はベタベタ紙がいっぱい貼ってあって中見えないし。だから、お店に入りづらい。そういうイメージで『嫌だな』と思っていた。中入ってみると、仕組み的におかしいなってところもありました。けれども、部屋を貸して喜んでもらえてお金がもらえるのは、いいことだなと思いますけどね。

仕事があって大変だって言うけれども、仕事がないときの方が大変だよって感じましたね。

Q.内装屋さんの2年間って社長の中で大きかったんですか?

鎌田社長 2年間は大きいですね。だって学生から社会人になって初めてで。1年間仙台にいたときは現場じゃないですか。それこそ、その当時は週休2日だって言われて入ったけれど、月2日だったり。お金が貯まってしょうがなかったです。

Q.そんな時代なんですね?

鎌田社長 それで、それこそ現場、大手テナントの改装とかも入ったり、その商店街の仕事もあったり。自分の内装の会社の人よりも、そこで関わった色々な職人さんに教えてもらった思い出の方がたくさんありますね。

Q.例えばどんなことですか?

鎌田社長 土間コン打っているの知らないで踏んで、怒られて。2回目もやって「コノやろー」って叩かれたりとか(苦笑)。結構あの当時の職人さんは荒い人がいて。壁なんか叩いて穴あけたりとかして、その後自分でパテかけて直したりとか。でも本当に大工屋さんも塗装屋さんもそうだけれど、そこで色々社会人としての事を教えてもらったような気がします。だから未だに職人さんと話していた方が楽しいし、やっていることに対して興味がありますね。

Q.幕張はどうだったんですか?

鎌田社長 幕張の方に行ったら、逆に現場はないわけですよ。会社も知らないわけだから。完全な営業で、自分でとってこないと仕事がない。

Q.キツイですよね?

鎌田社長 そうですね。自分の社員にもよく言うことなんですが『仕事があって大変だって言うけれども、仕事がないときの方が大変だよ』ってそのときに初めて感じましたね。

Q.それはおもしろい話ですね?

鎌田社長 仕事がなくて今日1日何しようって。そっちの方が辛い。だから前の会社のときの人も、普段優秀なんだけれども鬱になっちゃた人がいるぐらいでした。仕事がない辛さって知っている人は今どれだけいるのかな?

Q.そうですね、どれぐらいいますかね?

鎌田社長 今、仕事がなくて『うわー』って言っている人って、どっちかというと『この仕事はイヤだ。』とか仕事を選んでる場合も多いですね。

Q.確かに選んでますよね?

鎌田社長 それをやって仕事をとってこないと、今日の飯食えないよって。そういう状態になっている人ってどれだけいるのかな。会社に勤めてる人は、普通にお金もらえると思っているけれども、その金って誰が払ってくれるのって考えましたよね。自分は、その頃から思っていました。自分達が稼いでこなければお金は貰えないんだなって。そういう時代、営業の厳しさじゃないけれども。

Q.辞めようと思わなかったんですか?

鎌田社長 そんな中でも自分で調べながら行って、看板一つの仕事でもやるからって言われれば、それは嬉しいですよね。今度は仕事取れても、仙台の業者は使えないから、地元の幕張や千葉の業者さんを探さなければいけないわけでしょ。

Q.そこまでやっていたんですね?

鎌田社長 そういう部分で全く1からの立ち上げの部分も味わえたから、良かったかなと思う。1社しか入社していないから分からないけれど、そういう意味では内装屋さん、そこの2年間は濃かったかな。

逆に言うと今まで先代よりもダントツに凄いなって思った社長はいないですね。

Q.話は変わりますが、社長にとって先代はどういう方だったんですか?

鎌田社長 自分の父でありますし、変な話だけど親父はすごいなとは思いますね。特に『信念』はね。良くも悪くもやってきた人だから。一からやってきた人だから、経営者としては凄いなと思う。経営者としては凄いし、尊敬と言われれば尊敬だと思うし。

Q.他に尊敬される方はいらしゃいますか?

鎌田社長 逆に言うと今まで先代よりもダントツに凄いなって思った社長はいないですね。頭いい人とかそういうのはいっぱいると思います。だけれど、裸一貫からずっとやってきた部分で言ったら、この人の方が凄いなっていう人はいないですね。

Q.特にどういうところを影響受けましたか?

鎌田社長 わからない(笑)。自分ではこれ影響受けたなっていうのは、分からないですね。そういうのって逆に他の人から見て、あーやっぱり、なんだかんだ言っても親子だなって、いうのはあるかもしれないけれども。自分では分からないですね。

Q.一番印象に残っている出来事はありますか?

鎌田社長 笑い話じゃないけれど、朝行って朝礼終わって、ちょっと社長室来いって行って。終わって社長室を出たら外は真っ暗だったって言う(笑)。そういうのが1~2回だけではないね、何回かありますね(笑)。

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